屋外でふとした瞬間に腰を下ろしたくなった時、我々は無意識に地面を避ける。まず地面から高いところにあって座れそうなものを探す。どうしても地面に腰を下ろさなくてはいけない場合は、何か下に敷く物を用意しようとする。本当に周りに何もなく、やむをえず地面に腰を下ろしてしまえば、冷たさが腰からのぼり、ついにはその寒さに耐えきれず立ってしまうだろう。常に立って生活するわけにはいけない。確実に休息を得るため、寒さから体を保護することは生きてゆく上で絶対的に必要な条件である。

ここで取り扱うじゅうたんは、住居内での寒さからの隔絶、を目的に作られたものだ。もともとはペルシアやアナトリアなどの内陸アジアでの生活様式の中から発生したこの敷物は、形を変え、現在住居の洋式化が当然となったこの日本でも各家庭で使われるまでに普及している。だが日本人である我々にとって床に直に座れるものと言えば畳の方が身近である。というより、現在の生活様式では床よりも椅子に座る方が一般的かもしれない。そうなるとその床はフローリングであることが多く、じゅうたんはむしろその椅子や家具の足で床に傷がつかないようクッションとして使われたりする。機械で大量生産され家具の量販店の店頭に並んでいるようなものではそういった現状も致し方ないのかもしれないが、用途一辺倒で無機化された生活用品は概して味気ない。

これは他の工芸作品にも共通する部分があるかと思うが、じゅうたんは複数の感覚チャンネルに直接訴えかける。直に手に触れることで素材の感覚を確かめ、文様の形態を見、色彩を楽しむ。長い毛羽の奥には堅牢な織組織があり、柔らかな表面の奥に存在するその固さは日常生活に耐え得る信頼性を感じさせる。横になればにおいも嗅いでみるかもしれない。視覚からくるイメージは非常に強いが、触覚、嗅覚を使って複合的に脳内で捉える様はじゅうたん独特のものだ。

このような工芸品は生活に深く根ざしている。デザインと工芸の違いは、その発生した根っこの部分にある。工芸は先に述べたように人々の生活の間から湧き出る必要性が根本的な由来かと思うが、デザインは経済を足場に大衆の美意識を一般化し具現化したものだと言える。本論文で中心の作品として取り上げる「アルダビールじゅうたん」は王立の宮廷工房で制作されたという背景から、後者の存在に近いかと思われる。

この「アルダビールじゅうたん」は16世紀イランのサファヴィー朝において、同朝の始祖、シャイフ・サフィーの霊廟に納める寄進財として制作されたものだ。長らくペルシアじゅうたんの古典と言われ、その存在が評価されてきた。ここでは素材や染料などのじゅうたんの技術的な側面を見つつ、同時にアルダビールじゅうたんで展開する文様の数々にも注目したい。